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個展「あたらしい糸に」始まります。

昨日、上京し無事に銀座ニコンサロンでの設営を終えました。
若干の並びの変更もありましたが、まずは初日を迎えることができてホッとしています。2週間の会期中10日間ほど滞在します。今の僕にとってこの在廊期間というのが写真展を行う大きな意味だと感じています。
たくさんのお客さまが自分の撮った写真から何を感じてもらえるのかを体感できる貴重な機会です。日常の依頼仕事ではチームでの作業となりますが、作品制作行為とは孤独な作業です。
そういう意味では自分の作品が立っている場所が、今の時代にどういうかたちで関われるのか、そういうことをぼんやりと感じられる時間が在廊期間だったりします。
また、写真展ではずっと自分の写真と対峙することになります。展示の時点ですでに感じてしまったのですが、自分の写真の稚拙さと未熟さに痛感させられ、写真展をすることに不安を覚えたりもします。
とはいえ、そう簡単に変わっていけないのが写真を撮る難しさでもあります。写真展を通じて少しずつでも、撮るべきものの核に近づいていければと思っています。
東北の祭礼に向けるカメラの行き先はどこに定めていけばいいのか、在廊期間ではそういうことも自分なりに考えていきたいと思っています。
そして、ご覧頂いた方々には、同時代に行われている祭礼が自分の暮らす世界から遠く離れた異文化的な行為ではなく、行為を行う人のなかにある同じ「今」を感じていただければ幸いです。その「今」のなかに、祭礼という行為を続ける意味が見つかるかもしれませんし、あるいは祭礼を必要としなくなる時代や心理も見えてくるかもしれません。
本日から9月8日までの会期となります。どうぞよろしくお願いいたします。
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個展「あたらしい糸に」銀座ニコンサロンのお知らせ

鵜鳥神社.jpg
普代・岩手 2010年

銀座ニコンサロンにて8月26日から9月8日まで個展を行うことになりました。
タイトルは「あたらしい糸に」。東北の祭礼を訪ね歩き、撮りためた写真群になっています。
オープンまで早いもので10日を数えるばかりになります。日常の撮影をこなしながらの準備だったので、慌ただしい日々でしたが、ここにきてようやく暗室作業も終わり、少し一息ついているところです。
ニコンサロンでは新宿も合わせると3回目の個展になります。そういう意味ではよく知っている環境ではありますが、やはり個展準備というものはなかなか大変なものがあります。
とくにロータリーチューブを使って大全紙まで伸ばす暗室作業は、普段行っているCP32でのプロセスと違い、まさに手仕事といった感じなるのでいつも苦労させられます。
しかし、僕が愛用しているkodakのカラーネガに詰まった銀粒子が気持ち良く解きほぐされ、大全紙の印画紙に投影される様子は、高揚感を覚えます。こういうプロセスでカラープリントを制作する写真家も少なくなりましたが、フィルムと印画紙の組み合わせによる写真表現の美しさは、簡単に捨てられないものだと感じます。
印画紙の種類が減り、かつ質も落ちてきている現在においては、最高の銀塩プリントを制作することはもはや不可能に近くなってきてますが、それでも本展では、銀塩プリントの持つしっとりした美しさを感じ取っていただけるのではと思っています。

展示写真の内容については、被写体は祭礼というものですが、「東北の現在」というものが表現の主題です。僕が祭礼を訪ね始めたのは約10年前にことになりますが、日本の地方というものは大きく変わり続けていると感じます。「地方再生」「地方ブランディング」など、ある種のトレンド感を持って「地方」が語られるようになったと思います。
こうしたムーブメントのひとつひとつを僕自身良く知るわけではありませんが、正直なところ何か違うのではないかと思うことも少なくありません。ひとことで言ってしまうと、これらのムーブメントの目的の多くは「経済」であり、歴史や文化なども「経済」のフィルターを通した結果、「残ったもの」が良いとされる風潮にあります。不況続きで、「経済」を重視する理由もよくわかります。また、「経済」の力によって、息を吹き返すものもたくさんあるでしょう。しかし、このフィルターからこぼれ落ちるものはどうなってしまうのだろうといことも、祭礼への旅で感じ続けてきたことでした。

また、祭礼から何を感じるか、何を見るかという点においては、ずっと悶々とし続けてきました。
祭礼は、非日常であるがゆえにエキセントリックです。自分たちの知らない精神世界がそこにあると思わせてくれます。
僕は昔から、そして今でも「自分とは異なる精神世界がそこにある」と思わせる世界に惹かれます。たとえば、テレビドキュメンタリーでありがちのアマゾンの先住民の暮らしや、ネイティブアメリカンの精神世界、、、そういうものに子供時代から強い憧れをいだきつづけてきました。
遠い時代、遠い世界に暮らす人を見ながら、「現代社会が忘れた人間性」「人間本来の営み」など、ある意味、手垢のついた言葉をほかの人よりも大切にしてきた人間なんだと思います。
だからこそ、祭礼を訪ね始めたときは、そういう感覚で祭礼という営みを見ていました。
とくに東北の祭礼はアニミズムの気配が濃厚です。「縄文」や「狩猟採集」など、憧れを抱くことができる世界を見つけることは難しいことではありませんでした。
もちろん、そういったものを頼りにアプローチすることを否定するわけではありません。それはそれで東北の本質を引き出すツールになるはずです。
でも、僕は東北に移住し、東北で暮らすことを選んだ人間です。その立場から、今見るべきことは、「縄文」やアニミズムなのだろうかという思いを拭い去ることはできませんでした。
東北の今を語る上で、そこに帰結するのは拭い去れない違和感を覚えました。
そういったものではなく、もっと「今」と関わることを見るべきではないか。変わりゆく時代のなかで失うものと得るもの。それを知りたいと感じてきました。
そう考えた時、やはり見るべきものは、祭礼を行う人々の「今」でした。
祭礼という無形文化の中を満たすものがどのように変わっていっているのか。そのことを考えることは、東北の今と選択すべき未来を考えることにつながっている。それが僕の祭礼の旅の中身でした。
簡単に答えが出るようなものではありません。
明日もまた岩手北部の祭礼に出かける予定です。旅の途中経過として発表できればと考えております。

会期やステートメント等はニコンサロンのWEBサイトに掲載中です。
ご覧いただき、会場までいらっしゃっていただけたら幸いです。

http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2015/09_ginza.html#01


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