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柔らかな毛並み

今日、奈良の実家で飼われていた犬が死んだということを母から電話で告げられた。
ランという名前のその犬は僕が実家を出てから飼われた犬だったので、一緒に暮らしたことはない。それでも、帰省するといつも穏やかな顔で迎えてくれる気立てのいい優しい犬だった。
様々な犬種が混じり合っていると思わせるその姿は、決して美人とは言えるものではなかったけれど、とても愛嬌があって可愛い犬だった。
ランは野良犬としてうろついていたところを拾われたからか、食い意地は張っていたけれど、人や犬に対する警戒心はほとんどなく、いつだったか、僕がうちのさくらを連れて帰省した際には、自分より若いさくらに対し、まるで妹のように振る舞って、後ろをついて歩いていた。
 
ランが亡くなったので病院で、最期は安楽死という方法がとられたらしい。ずっと病気知らずで生きてきたけれど、17歳という高齢からか、最終的には口の中に癌を患い、おそらくいろんな場所に転移してしまって手のほどこしようがないという状態だったらしい。
食事ができなくなってしまったこと、歩けなくなってしまったこと、痛みがひどくなり、それを鎮めることはできないこと。かかりつけの獣医といろんな方向性を考えた上で、結局、一本の注射でランは逝った。

僕としては、犬の安楽死がどういうものか。経験したことはなく、何の言葉も持ち合わせていない。
ただ、僕としては、ずっと犬のいる家庭に育ち、おそらく、年老いた両親にとっては最後の犬になること。今日はそんな日だったんだなということを考えたりした。

ボビー、ラナ、ラン、そして、僕が今暮らしているさくら。
犬の一生は短いとはいえ、それは人とて同じようなもので、一生で付き合える犬の数は、それほど多くはないだろう。何より、犬を見送ることはとても辛く、もう新しい犬を迎えることができないということも少なくないだろう。
でも、僕は犬を見送ることは、悲しみであると以上に喜びでもあると信じている。

犬たちはいつも僕たちのことを待っている。
半日の留守番はもちろんのこと、一時間の留守番でも、彼らは何年も会っていなかったかのように喜んでくれる。夜中ももちろん厭わない。そして、もし、少しでも一緒に出かけることができるなら、どこへだって行くよ、と楽しげについてきてくれる。
そんな彼らに「早く帰ってくるから待っていて」といわず、「向こうでしばらく元気でやってこい、そのうち迎えにいくからな」といって送り出す。
その時間をきちんと持つことができたなら、犬を飼う人間としては本当に幸せ者だとと思う。
もちろん送ってやった後、これまでに一緒に歩いた道やいつもゴロリと寝ている定位置にその姿がない風景は、大きな悲しみを生むだろう。
でも、それでも、犬たちと過ごした日々は幸せしかないと僕は思う。

4歳のとき、はじめて仔犬を抱いたことを思い出す。
グレーと茶色が混じった少し気が強いその仔犬は、我が家に来ることが決まり、なぜか兄から「ボビー・ブルックス」という洒落たな名前をもらった。
家の者には優しいけれど、外の人や犬には妙に厳しいボビーは逞しい身体を持っていたけれど、わずか10歳足らずで死んだ。これは僕たちの無知から来るもので、フィラリアをこじらせてしまった結果だった。
その頃の僕は動物を飼うのに夢中で、ハムスター、鳩、セキセイインコ、オカメインコなど、様々な動物が身近にいた。動物を飼えば飼う程、当然のこととして死が近くなる。ボビーが死んだのは小学校の高学年で、それまでに実に多くの死を経験していたけれど、やはり犬という動物が突然、目の前で死に、冷たくなっていくことは僕にはとても大きなことだった。

ボビーが死んだのは熱い夏の昼間で、夕方を待って兄と二人で埋葬するための穴を掘り始めた。15kgほどの大きな犬だったので、大きく深い穴が必要でなかなか苦労した。
結局、夜を明かして穴を堀り、ボビーを埋めた。穴を掘り終えた明け方の空は青く、妙に透明だったことを今でもときおり思い起こしたりする。
そして、2代目の犬はラナで、ボビーが死ぬ1年ぐらい前に野良犬としてやってきた。半ば強引に僕が連れてきたものだから、世話は僕がやることになった。でも、僕はやがて高校を卒業し、ラナを置いて家を離れた。そのとき、僕は果たしてラナに何と声をかけただろうか。「必ず迎えにくるから」どころか、きっと何も言わずに家を出たのだろうと記憶している。
言い訳になるけれど、僕はまだ若く自分のことで頭がいっぱいだった。
そして、大学を出て、東京で就職して、確か3年後にラナは逝った。逝く半年前だったか正月に帰省した際に見たラナはひどく年老いて、いつもの散歩コースをすべて歩くことはできず、ときおりへたりこんだ。僕はそんなラナに向かって35mmのポジフィルムを使って何枚も何枚も写真を撮った。
本格的に写真をはじめたばかり写真を撮ることが何なのかもよくわからず、それでも、ラナの写真を残しておきたいと思った。
ラナの顔を見たのは結局それが最後になってしまった。

その後、ラナが逝った直後に迷い込んできたのがランだった。
結局、僕がランに会ったのは、おそらく5、6回だろうか。それでも、何となく実家にやってきた三代目の犬ということで親近感を覚えていた。

ランは病室で見慣れた獣医の手にもたれた注射器を見て、何と思っただろうか。
母親はその最期の処置をどうしても見ることができす、ドアの向こうで待っていたという。
苦しさの中で、ランの眼には自分から去っていく飼い主に思えたのだろうか。
母はやっぱり、「少しだけ待っていてね。今すぐに来るから」と犬を飼う人であれば、何万回も言う言葉を投げかけたのだろうか。

なぜか、最期の瞬間のことをよく考える。よくどころか、毎日かもしれない。
それは決してネガティブな想像ではない。
今、生きている不思議から始まっている。
こうして、今、確かに自分は生きている。
生きているという視点で世界を見ている。見ること。それは僕にとっては生きていることに等しい。
だから、逝くことは見えなくなることだ。
生きている瞬間の最期、逝く瞬間の狭間、何か見えるのだろうか。どのように見えるのだろうか。
かすむのだろうか。色がにじむのだろうか。それとも澄み渡るのだろうか。
想像はいつもめぐるだけだ。
生きているという不思議が解決されることもなく、だからといって死が腑に落ちるものでもない。
ただ、その瞬間がやがて僕にも訪れるということ。
それはいつも理解し、ときどき愕然となる。
怖くないかと言えば、怖いだろう。
でも、最期の瞬間の風景を見たとき、生きていることの不思議が僕のなかで解凍するような気もしている。

昨年末に帰省した時に撮ったランの動画携帯の中に入っていた。
ランはささみのおやつをのんびりを食べ、それを見ている僕は「ランはゆっくる食べるねんなあ」と関西弁でつぶやいていた。
美味しいそうにおやつをほおばるその動画をさきほど改めて見直し、ランが赤い首輪をしていたということを初めて知った。
母は赤い首輪をどうしたろうか。これはランのだからと付けたまま、見送ったのだろうか。それとも、思い出にと外して手元に残したのだろうか。そして、僕はさくらが逝ったとき、さくらをどのように送り、さくらの首輪や胴輪や器なんかをどうするのだろうか。
死はいつだって大きく、それを前にするとたわいもないこと、どうでもいいことばかりが頭を占める。
この文章をつづっている僕の足下では、さくらが真っ黒い身体を横たわらせ、すうすうと寝息をかいている。伝わってくるぬくもりと熱。今日はそれがひとつ、僕の中で消えてしまった。

つい先日も親戚の犬が亡くなったばかりだった。
まだ12歳で、急死に近かったのでやりきれない思いがした。
アメリカの童話では、犬は逝くと天国へと渡る虹のふもとで飼い主のことを待っているというものがあるという。
信仰を持たない僕は天国など信じていない。もちろん、地獄も。
でも、なぜか、この童話は大好きだったりする。きっと、天国とか地獄などはどうでもよくって、あの柔らかな毛並みに触れ、濡れた鼻が頬にあたるその幸福を知る人の夢なんだろうと感じるからだ。

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