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春の日に

弁造さんが突然逝ってしまった。
享年92歳。覚悟はしていたけれど、それでも本当に突然、その日がやってきた。
その知らせを聞いた僕は、いつものように、これまでいくどとなく繰り返した弁造さんへの旅と変わりなく、車にカメラとフィルムとそして寝袋を積んで、犬のさくらと一緒に海峡を渡った。
夜の海はどうだっただろうか。それは過去にないほど静かに凪いでいたことをのぞけば、海峡を占める濃厚な闇も、匂い立つ潮の気配もいつもと変わりなかった。
函館から約450kmほどある弁造さんの家への道のりもいつも同じだった。海鳥の飛ぶ渚をかすめ、原野を越え、深い森を越え、街を越え、その風景の連続は、諳んじることのできる歌のように僕の眼には慣れ親しんだものだった。
でも、その先はこれまで一度も経験したことのないものだった。
僕の到着を待っていてくれたのは、一言も話さず、冷たい頬をした弁造さんだったからだ。

納棺が済んだばかりの弁造さんは、今までに見た事が無い立派な服をきて、どこか神妙な顔をして、瞳を閉じて眠っていた。
枕も真っ白で、布団も空気のように軽そうで、それらのディティールのすべてが僕が知る弁造さんには何ひとつあてはまらなかった。
でも、弁造さんが逝ってしまったことが受け入れられないということではない。
僕は現実主義者だ。どのような願いや思いより現実は強いと信じている。
今も目の前に弁造さんが眠っているけれど、それは僕が見たことがない弁造さんではあるけれど、弁造さんであることを僕は受け入れている。
逝ってしまった弁造さんと会う。僕にとっては、ただそれが慣れていないだけだ。

函館からずっと、弁造さんのことを考えていた。
弁造さんとはじめて出会った日のこと。そのとき、弁造さんはまだ78歳だったこと。
それからずっと延々と僕のカメラの前に立ち、下手くそな写真を量産する手伝いをしてくれたこと。
そして、いつしか、僕が写真を続ける最も大きな理由になってくれたこと。
そこで改めて考えたのは、一体、なぜ、僕は弁造さんを撮り続けようと思ったかについて。

一番最初は弁造さんの作ってきた自給自足の生活だった。森を育て、畑を耕し、自分の手で建てた家で暮らす。
当時の僕にとってはそれが眩しく見えた。でも、それが撮り続けてきた理由にはならなかった。
生き方のディティールについては、時代やその人が置かれた環境、いろいろな要素が絡み合って生まれると思う。
弁造さんの自給自足はいつだって素敵だけれど、いくつもの条件が合わさった結果のひとつに過ぎないと思うようになった。

その代わり、強烈に立ち上がってきたのが、「生きる」という単純だけれども、底の見えない行為だ。
絵を描くことを愛し、ユーモアと工夫で、一人、飄々と生きる弁造さんは、本当に格好よく見えた。
ただ、それも撮り続ける理由のすべてではなかったように思う。
理由は、「生きる」ということが弁造さんだけの創造物ではないと知っていたからだ。
弁造さんの生き方は、簡単に真似ができるものではないけれど、乱暴に言ってしまえば、自給自足生活と同じようなもので、それもまた、弁造さんを取り巻いてきた環境や時代の結果なのだろうと思う。

では、僕は何を撮ってきたのだろうか。
思えば、僕は弁造さんに対し、撮るべき理由をずっと探していた。いや撮ることには理由は必要がなかった。ただ弁造さんにカメラを向け、撮り続けたかった。探していたのは、撮影行為を一人立ちさせる理由だ。
でも、撮影を続ければ続けるほど、明確な答えからは遠のいていった。
写真展をしたり、雑誌に発表したりしながら、何度も写真を構成し、言葉を仕立ててきかたが、曖昧さばかりが浮き立ってみえた。

そうして僕がまごまごしているうちに弁造さんは逝ってしまった。
にもかかわらず、こうして、僕はなお、弁造さんを撮り続ける理由を探そうとしている。
本当に、僕は弁造さんに何を見ようと思ったのだろうか。

今日、それをずっと考えてきて、頭に浮かんできたのは「生きることの謎」という言葉だ。
稚拙な言葉で自分でも呆れ返ってしまうが、今の僕にはほかに代わる言葉が見つからない。

僕にとっては生きることは当たり前であるけれど、もう一方で不可思議なことだ。
生まれ、生き、死んでいく。どのような生物に繰り返される営みには違いないが、そこには、言葉では語り尽くせない曖昧で不条理な出来事が連続して現れ、僕たちはそれを受け止めるるしかない。そのなかでしか生きれない不思議、そして謎。そうしたものが確かにあると思える。
ただ、そう感じるのは、僕自身が「生きること」のディティールのひとつだからだろうか。
遠視するように考えてしまえば、僕たちの生きることは、右に行こうが左に行こうが、どっちでも構わない。
きっと生命は、僕たち個々にはほとんど興味はない。
それでも、僕たちひとりひとりは、無尽蔵にある「生きること」のディティールのひとつに過ぎない。そのディティールを見つめることが僕たちの「生きること」の視点だと思う。
ただ、そうはいっても、それは津軽の版画家のように対象に眼をすりつけるほどに近づけてはじめて見えてくるディティールだろう。
それでも、見つめていくと、それぞれのディティールが持つ多様な色彩のグラデーションと陰影の深さに気づくだろう。
僕たちは皆、その色と光、そして陰に染め抜かれている。
僕にとっては、その色と光、そして陰こそが謎だった。なぜ、こうして僕たちは、「生きること」の不思議な色と光、そして陰をまとうのだろうかと。
その謎を解き明かすことはできないか。この謎解きの伴走者が弁造さんだった。
弁造さんは、自らのこれまでの人生を僕に語り尽くし、そして新たに迎え入れる人生を露にしてくれた。

弁造さんの新しい人生とは、「老い」というもので、ほろ苦い以上のものだった。
これまで当たり前にやっていたことができなくなり、自らを取り巻く世界が次第に小さくなっていくなかで、弁造さんの精神もある意味、やせ細っていった部分もあった。
それでも、弁造さんは老いと向き合い続けた。
僕はもしかしたら、「生きることの謎」が解ける間近までいけたのかもしれない。
弁造さんがもう少し生き、老いの極みのなかで、その極点に立ち会えたなら、僕はずっと探していた答えを見つけられたかもしれない。
でも、弁造さんは、伴走をやめてしまった。
ふいに、何の知らせもなく、一人、逝ってしまった。
これもまた、生きることの不思議な色と光なのだろうか。
春になったら納屋の棟木を修繕する、旧友の墓参りをする、来年の薪を準備する、部屋をきれいにして弁造さんの部屋で一緒に眠る(これまでずっと僕は弁造さんを訪ねると車で寝ていた)、絵を描く、ほかにもいくつもあった約束を反古にして逝ってしまう。
生きることは、予定や計画とは全く別ものであること。
確かにそうなのだろうけれど、運命と生きることは同義語なのだろうか。
結局、すべての色彩を貫き、光と陰をない交ぜにしてしまうのは、運命的な出来事なのだろうか。
生きることは、すべて出来事の積み重ねだ。でも、そのひとつひとつを束ねるのは、抗いようのない強力な力なのだろうか。
この力に抗いたいと思う僕は、弁造さんを喪い、最後の最後で「生きること」の謎解きに失敗したということなのだろうか。
14年もかけたのに、ここまで来て失敗してしまったのだろうか。
伴走者を喪ったのに、それでも振り出しに戻って、一から走れということなのだろうか。

それとも、生きることのディティールのひとつでしかない僕にそもそもそんな謎解きができるはずはなかったのだろうか。
自分の寝顔を決して見ることができないように、今を生きている僕は、生きることの真実などを見ることができないのかもしれない。
そういうことだったのだろうか。

ずっとカメラと一緒に生きていくと思ってきた。今もその気持ちは変わらないし、変えたくはない。
でも、弁造さんが逝ったことで気づいたのは、写真を続けていく大きな理由をひとつ失ったということだ。
今は、その敗北感を受け入れるしかないということなのだろうか。

弁造さん、本当に今までありがとうございました。
僕は弁造さんと出会って本当に幸せでした。

若き日.jpg
2012 若き日のこと 

ポートレート撮影会

今年の1月に盛岡の唐たけし冩場という、すでに写真館としての役割を終えたスタジオをお借りして、ポートレート撮影会を行った。
このときの模様は、こちら(http://blog.iwatesan.com/fudo/2012/01/20/写真を撮ること/)に書いたので割愛するが、5月に行われる盛岡のミニコミ誌「てくり」が行う「モリブロ」というイベントで、再びポートレート撮影会を行うことになった。

撮影場所は、盛岡市にある岩手県公会堂。大正時代に建てられたとても立派でモダンな建築物で、盛岡のランドマークとも言える存在だ。
この建物の一室を借りきって撮影するのだが、今回も前回の唐たけし寫場に引き続き、愛機のローライフレックスを使って撮影し、銀塩モノクロプリントを仕上げることになった。

最近、とくに盛岡ではフィルムで撮影している現場は本当に少なくなってしまった。
撮影が少ないのだから暗室を持ち、現像やプリントを手掛ける人間はごくわずかだ。
僕もその一人といえるのだが、写真を撮る上で、デジタルかフィルムかと問われたら迷うことなくフィルムを選択する。
デジタルにはデジタルの良さがあることはわかるのだが、フィルムには、デジタルにはない魅力が深く湛えられていると思う。
オリジナルとしての存在感、印画紙の質感、中判、大判といくつもあるフォーマットを選択できることなど、その魅力はいくつもあげられるのだが、僕が一番強く感じ魅力は、デジタルとは違った「今」という時間の閉じ込め方だ。
それはフィルムならではの「今」の佇まいといっていい。
フィルム写真の中にある時間はいつもどこまでも静かにゆらぎ、それは深い入り江に漂うかすかなかすかな波のの動きにも似ている。
とくにモノクロームの写真ではその静けさが増し、透明度も増していくように感じる。

普段、僕はモノクローム写真を手がけることは少ない。
本当は、モノクロームによる作品作りがしたくてしたくてしょうがないのだけれど、自戒している。理由は、カラー写真の溢れ出す猥雑ともいえる「今」の気配、コントロールできない「同時代性」というものをつくっていきたいと考えているからだ。
僕にとって写真は「今」と同義だ。そして「今」とはどうにも捉え難い性格だ。この捉え難さを表現するには、やはりモノクロよりもカラーだと感じる。
でも、だからこそ、モノクロの静謐でコントロールされた世界にあこがれる。

なので、こういう機会があると俄然張り切ってしまう。
前回も2日の撮影だったが、その後の暗室作業には約5日ほどかけた。大変な作業でもあるが、カメラの前に立ってくれた人の「今」との再会は、幸福とも言える時間だった。

公会堂の撮影会は、5月の12日と13日。今回はどのような人の「今」と出会えることができるのだろうか。それが今からとても楽しみだ。

撮影会の概要は以下のウエブサイトをご参考にしてください。

http://moriburo2012.blog.fc2.com/
http://moriburo2012.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

なお、撮影料およびプリント料金は、合計で6000円。ベタプリントと11×14インチのプリント1枚となっています。
また、予約優先となっておりますので、予約をしていただけると幸いです。

鹿踊りweb.jpg
2010 鹿踊り

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