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彼岸の光

先日、約7年ぶりに実家のある奈良に帰った。
改めて考えてみると帰省していなかった年月の長さに驚いてしまうのだが、本当にあっという間の7年だったように思う。
それでも、実際に約15年ほど暮らした土地に立つと不思議な懐かしさに包まれた。
大きく様変わりしている部分もあったが、町並みの佇まいや空気に混じる匂いは、僕がずっと感じてきたものと同じだった。
妙な懐かしさと違和感のなかで、改めて自分はこの町で育ったことを知った。

それほど長い滞在ではなかったので、記憶の場所のあちこちを訪ねることはできなかったけれど、両親と兄、そして知人にあったりと普段にはない時間を過ごした。
そして、いろんなことを考えた。

一番は、土地と人の関わりについてだった。
今の岩手に暮らしは早いもので13年になる。
もうすぐ人生で一番長く住んだ土地になる。
もはや新鮮という印象を持つことは少ないのだが、それでもこの土地が持つ“風土”は強い存在感で僕に迫ってくる。
僕が岩手に暮らす理由は、この存在感を感じたいためでもある。
でも、風土の存在感以上に強い刺激を受けるのが人の存在だ。
いや、そもそも風土と人を分けて考える必要はないかもしれない。風土が人を生み、人が風土を生む。本来はそういう関係だろう。
とはいえ、やはり、僕にとっては、この人という存在が大きい。
岩手に移住したのは26歳のときだが、それ以前には感じなかったものをこの土地の人々に感じてきた。
だからこそ、東北は僕にとって常に特別なものとして在り続けているのだろう。

もちろん、奈良にも風土は存在するし、強烈な存在感を放つ人も多くいることだろう。
しかし、奈良に住んでいた当時、若くて何も知らない僕は不幸にもそれを感じることができなかった。
目の前にあったとして、気づかなかっただろうし、そもそも、当時は求めてもいなかったのかもしれない。
今再び、奈良に住めば、岩手で感じるように「奈良」を少しずつ発見するだろう、きっと。

そう頭では理解しながらも、いいや、そんなことはできないと感じてしまう。
僕が知るあの人たちのような、ただ立っているだけで、あるいは笑っているだけで、強烈な印象を残すあのような人たちは、東北という土地ならではの人だちだと考えてしまう。
もちろん、東北のすべての人がそういう人ではない。ほんのわずかだ。
でも、たった一人、その人が存在するだけで目の前の風景がすべて変わってしまうような人と東北で出会ってきたことは事実だ。

なぜ、そんな人が東北にはいるのだろう。
歴史を古代まで遡っていくと、東北には蝦夷と呼ばれた人たちの存在が浮かび上がり、朝廷側の奈良や京都の人間とは異なる人たちだということがわかる。でもそういうものではないだろう。源流に明らかな違いはあっても、今となっては、それはまた別の話だと思う。

そんなとき、ふと思ったのは、人と土地の量的な関係だ。
実にいい加減なアイデアなのだが、東北はいうまでもなく広い。しかし、住んでいる人が本当に少ない。仙台は大きな街だが、それ以外は各県にひとつずつ中都市があるに過ぎない。あとは全部、野と山だ。それもとびきり濃厚な自然を持つ大地だ。
そして、この広大な大地のなかに、文字通り、点々と人が住んでいる。

人が暮らすというのは土地と関係を結んでいくことだ。
ときには征服にも似た行為で土地を手なづけることもあるし、ときには自然の猛威にさらされ、為す術もないという状態に陥ることもあるだろう。
共生といえば言葉はいいが、どういうかたちであれ、そこにある土地と関係を深めていくことでしか人は生きられない。

そして、言うまでもなく、土地の力は強大だ。しかし、人の力はあまりにも小さい。
たとえば地面に穴を掘るとしたらどうだろうか。スコップひとつ無い状態で深さ30cmほどの穴を掘るとしたらどれだけの苦労が必要になるだろう。
だからこそ、人は集まり、力を束ねて土地と向き合ってきた。土地を前にしたとき、人の力の大小を決めるのは頭数だった。
ところが、東北の地における頭数は西日本などと比べるとあまりに少ない。
少ない頭数、小さな力で大きな土地を相手にどうするか。簡単な話だ。一人一人が少しでも大きな力を出し続けるしかない。あるいは、小さな力でも上手にやりすごす知恵を磨く。

こうした積み重ねが東北の人間というものではないだろうか。
大きな土地の力と対等になるべく育んできた個の力。それがこの地の暮らす人の本質であり、それが強烈な存在感を放っているのではないだろうか。

と、ここまで書いて、これもやっぱり違うのだろうと感じる。
東北の人が西日本から見ると鄙の地に暮らし、個性を作っていったことには違いない。そして、この個性が土地と結びつき、風土と呼ばれるものを作ってきたことも間違いない。
それでも、人が少ないからといって、人が多い他と土地に比べて存在感が大きくなるというのはやっぱり乱暴な見方だ。
そんな簡単なことではないはずだ。
でも、だからこそ、捉えどころが難しいからこそ、僕はこうして、東北の人と土地の関係、風土の在りように魅かれるのだろう。

己の思考が相変わらずたわいもないなと心の中で笑いながら、夜の街にカメラを向けるべく三脚を立てた。
目の前には、淀川が音も無く流れ、大阪の眩い街明かりが、その流れのなかに克明に写し込まれていた。
ついさっきまで僕は、この流れの向こう、大阪駅の街区が放つ光の中にいて、知人と会っていたのだった。
大きな音が聞こえてきたと思ったら、流れに架けられた鉄橋の真ん中へと列車が滑り込んできた。
もう夜更けに近い時間だったが、列車の中には多くの人が乗っていた。
みんな、どこへ帰るのだろうか。
つい30分ほど前、川の向こうで見た街区の賑わいを思い浮かべながら思った。
その彼岸で、僕が立つ此岸は暗く静けさに包まれていた。
彼岸と此岸…。この街の人は毎日、その間を旅しているのだろうか。

なぜか、あの人のことが思い起こされた。
岩手の県北、小さな山村のさらに小さな集落の奥の奥、沢のどん詰まりに住む人のことだった。
集落といってもわずか数軒の家があるだけで、あとは周囲何キロにも渡って人家はなく、どこまでも深い森に覆われている…。
そんな土地で生まれ、育ってきた人だった。
いつだったか、その人と春の山を歩いたことがあった。
当然、山には精通していた。クマ撃ちをしているという以前に、その人にとって山は本当に慣れ親しんでいる場所なのだろう。
山の木々の一本一本の性格、吹く風がどこに行くか、流れる沢がどこからやってくるか、森羅万象の細部を身の上話のように語った。
人が山なのか、山が人なのか…わからなくなる。そんな印象だった。

そんな人が僕に言ったのだ。
「おら、なんでここに生まれたか、ときどき不思議に思うんだ。東京とか、ニューヨークとか、世界中にはそれこそ数えれんほどの土地があって、街があるわけだろう。そして、そこでたくさんの人が住んで、たくさんのわらしっ子が生まれてるわけだろう。それなのに、おらはこんな誰もいない山さ、生まれたんだろうかって。別にほかの場所でも良かったんだどもな、でも、なぜか、ここだった。本当によう、まったく不思議だなあって」
そういって、その人はずいぶん真面目な顔をした。

存在の不思議、といえばいいのだろうか。
街だとか、山だとかそういうことではなく、この世界に存在することは本当に不思議なことなのかもしれないと、その人は言いたかったのだろうか。そのときの僕はすぐに返す言葉もなく「本当に不思議ですね」と相づちを打った。

大阪の夜に向けて、もう一枚シャッターを押した。F8で9秒間の長時間露光だったが、時計を持っていなかったため、1から9まで声に出して数えた。
これで、レンズの向こうにある、ほぼすべての光を暗室の中で再現できるはずだった。
レリーズを放すとシャッとレンズシャッターの閉じる音がした。
10枚撮りのフィルムは数枚残っていたが、もう十分だろう。
三脚の脚を縮めながら、そうか、そうなんだと思った。

「そうか、この場所で良かったんだな」
あの人は、あの土地に生まれたことの不思議を語ったあと、しばらくしてからこう言ったのだ。

人はみな小さな世界で生まれる。そして、育っていくなかで世界が広大にあることを知る。
そこに出て行くか。あるいは留まるか。
もし、後者を選択したとき、何をしていけばいいのだろう。
小さな世界に閉じていくことになるのだろうか。
森に暮らすその人は、熊が冬眠するネグラを100カ所も知っているのだという。
初冬を迎えると、これら穴の中からその年の冬眠穴を見つけ出し、熊を獲るのだという。
こうした行為とはきっと、自らの立つ小さな世界を深めていくことにつながっていくのではかなろうか。
そして、それこそが、自らが在る世界と、世界に自らが在ることに、意味を見出していくことにつながっていくような気がする。

僕がこの東北という土地に魅力を感じ続けているのは、この意味を胸に抱く人がしっかりと生きているからなのだろう。

大阪夜景-1.jpg
大阪彼岸 2011

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