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1年ぶりに

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降る雪を見ながら、いろんなことを考えられるような時期になった。
昨年は、いくつかの大きな撮影を依頼されることもあり、時間というよりは気持ちに余裕がなく、ここに何も書くことがなく、時が過ぎてしまった。
作品を発表することについても、大きなチャンスをもらいながら諦めてしまったりと、少しだけ後悔の残る年だった。
でも、その一方で依頼撮影については、様々なチャンスをいただき、素晴らしいクリエイターたちと一緒に、いくつものチャレンジをさせていただいた。そういう意味では、なかなか刺激に富んだ一年だったようにも感じる。

さて、今年はどういう年だろうか。遅々としてペースではあるけれど、作品の撮影を続けながらもなかなか発表できないでいるので、今年はなんとか写真たちを世に送り出すことができればと考えている。
まずは、撮りためたネガに光を当て、印画紙の上に写し出し、暗室から出してやること。そこからはじめる必要があるだろう。

身の回りでの変化といえば、愛犬のさくらのことだろうか。
今年でさくらは15歳になるが、去年一年でずいぶんと体調の変化が見られた。
まず、クッシングという副腎の病気を患ったことがひとつ。これは今も続いていて、老化から来るものだけに完治することもなく、投薬で症状を緩和しているという状態。盛夏の頃は体調を崩し気味だったけれど、雪が降る頃から回復傾向をみせ、今はわりと良い状態を保っている。
さくらの身体が病気との付き合い方を見出したのかもしれないし、雪の季節が大好きなゆえの気分的な好調が身体にも良い影響を与えているのかもしれないが、いずれにしても好ましい状態だ。

あと、白内障が進み、瞳がずいぶん青白くなった。これは老犬にとってはある意味避けられない症状だろう。ただ、さくらの場合、元来視力が良い犬なので、少しにごっている程度では、まだまだ問題ないのか、それほど不便しているようには見えない。
薄暗い森の中を散歩する際も器用に細い枝を避けながら歩いているところを見ると、当分は大丈夫なのではと楽観視している。

その一方、少しやっかいな状況になってきているのが聴力だ。犬の感覚としては、鼻、耳、目の順で優先順位がおかれていると聞くが、そうだとすると、今のさくらは少し可哀想かもしれない。
さくらの耳がおかしいことに気づいたのは、昨年の夏の頃だろうか。
僕が撮影から帰ってくると、どのような雨風であろうが庭に入ってくる車の音を聞きつけて、玄関先で待っていてくれたものだったが、あるとき、玄関を開けるまで気づかないことがあった。
そのときは「あれ、おかしいな。さくらのやつ、熟睡でもしていたかな」と思って気にしていなかったが、その後もそういう状況も続き、また、散歩のときに森の中を離れて歩くさくらに声をかけても反応しないこともあって、聴覚の衰えを認めなくてはならない状況となっていった。

犬の耳の衰えがどのように進んでいくか、ちょっとわからないけれど、さくらの場合、かなりの速度で進行しているようにも感じる。たとえば、大嫌いな花火の音もある程度は気にならなくなったようだし、耳が聞こえにくいゆえに身体の反射が敏感になってきた。
もちろん、まったく聞こえなくなってしまったというわけではないようだけれど、ときには、大きな声で何度も名前を呼んでも気づかないことも多く、聴覚については深刻な状態になりつつあるのかもしれない。

ただ、当のさくらにとっては、ある日突然、音が聞こえなくなったのではなく、徐々に聞こえにくくなっていったということでそれほど違和感がないのだろうか。あまり、気にしている様子もなく、立派に尖った三角の耳をいつものようにぴんと立て、元気よく森の中を歩いている。

そんなさくらを見ながら、最近はよく、さくらが自らで感じ得る感覚がどういうものなのか、思いをめぐらせている。
犬にとって耳が聞こえなくなることはどういうことなのだろうか。目が見えなくなることはどういうことなのだろうか。
音が消えていくことで、静けさが広がっていくのだろうか。その静けさとは、激しく降り積もりながらも凛と澄み切った静けさを増していく雪の森にも似た世界なのだろうか。それとも、森の高み、梢の先をいくつも渡る風の響きが常に耳の奥に存在するようなものなのだろうか。

瞳が濁り、視界が衰えていくこともどのような感じなのだろう。暖かい部屋から寒い外気へと持ち出したカメラのレンズが一瞬にして曇ってしまい、すべてのものがぼんやりと見えるようなものなのだろうか。
それとも川の底から光る水面を仰ぎ見たような感覚なのだろうか。

手を伸ばせばいつも触れる場所にいて、いくらでも話しかけられる存在ではあるけれど、さくらの感覚についてはどこまでも想像でしかないこと。それはいつも僕をもどかしい気持ちにさせるけれど、そう遠くもない将来、自分もまた似たような感覚を味わうことになるのだろうと思うと、答えを得るのはそのときでいいのだという気にもなっている。

今日の雫石は荒れ模様で、真っ白な雪が長い間、舞っていた。
夕刻になって、一緒に散歩に出ると、森は凍えて青白くなり、空は深い青を広げていた。
さくらはいつも通り、尾の先を右側に曲げながら、元気そうに森を歩いた。
その尖った耳と青白い目の向けられる森はとても静かで、美しさがどこまでも続いていた。

今、こうして文章を書いている脇では、散歩を終えて満足したさくらが静かに眠っている。
森を渡る風の音や、立ち並ぶ樹々の凛とした佇まいを、この黒い毛をまとった小さな生き物が感じ取れる時間はどれくらい残されているのだろうか。
それはただただ生命の領域で、僕にはまったく想像が及ばないけれど、もう少しだけ、続いていって欲しいと願っている。

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