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無数のグスコーブドリへ

3月11日からすでに6日間が過ぎた。
早いのか遅いのか、今の僕にはちょっと判断ができない。
これほど途方に暮れる経験ははじめてのことだからだ。

とはいえ、僕は被災したわけではない。
県北の二戸市でのロケ中に地震に遭遇し、中断。仕事仲間と一緒に急いで盛岡に戻った。
このとき感じた揺れはどこまでも長く、不気味なものだった。怖いというよりも不気味。これから何が起こるのか想像もできないような得体の知れない気持ち悪さ。
そして、悪い予感は、津波というかたちで実現のものとなった。

それから二日間、自宅のある雫石で電気と水道が止まった。
しかし、三陸の惨状に比べたら、そんなものは楽しいキャンプ生活にすぎなかった。
湧き水を汲みに行くのも、少ない食料品を買い求めるのも、暗い部屋でじっと過ごすのも、三陸の方々の悲しみに比べたら、何かのゲームでしかないほどの気楽さだった。

また、この地震によって、2年ほどかけて撮影と執筆を続けてきた単行本の出版が頓挫してしまったほか、予定していたいくつかのロケが中止となったが、それもまた、三陸の方々に比べたら、「少しのんびりしたらいいよ」と休暇を与えられたようなものだ。
もちろん、僕にとっては大切な仕事ばかりで、フリーランスという立場である以上、今後の生活の不安要素にはなるだろう。それでも落ち込むぐらいのことで、なんとでもなることには違いない。

今回の災害は周知の通り、そんなレベルの話ではない。
事の大きさをうまく理解できず、ただただ呆然としている。
2日間ラジオにかじりついての情報収集、そして電気が復旧した瞬間に見た津波の映像。それは耳で聞いていたラジオの内容により頭の中で作り出していた光景とはまったく比較にならないものだった。
言葉を失うとはこういうことを言うのだそう。そんな光景が延々と流されていた。

僕が暮らす雫石から三陸までは、どう近道を通ってみても約100キロ以上ある。高速道路もなく、峠越えが必要で簡単に行ける土地ではない。
それでも、岩手に暮らして12年。三陸へはカメラを携えて幾度となく訪れ、その風景の美しさとおおらかな人の心に触れ、いくつもの大切なものをもらってきた。その愛すべき風景が壊れ、そこに暮らす多くの人々が消えてなくなろうとしている。

とてもつもなく悲しいことだ。
しかし、なんと言えばいいのだろう。
どんなにテレビを見て、ラジオを聞いても、どこかで遠いものにも思える。
おそらく被災された方の悲しみに想像力が追いつかないのだ。

これは僕自身の大きな欠陥であると思うが、想像力がきっと欠けている。
他者と同調はできても、結局のところ人の心はわからないし、心の痛みなどになると、正直、わかったような気持ちになることしかできない。

日常の暮らしであれば、それでもやり過ごせる。
なんとなく、それっぽいことを言ってうなずき、騒ぎ立て、笑ったり、悲しんだり。そのすべてが嘘であるということでは決してないのだが、そこに手のひらで強くにぎりしめるようなリアリティーを持っているかと尋ねられると、そんなものはどこにもない。僕はそういう人間だ。

でもそれを知っているからこそ、せめて、わかったようなことを言わないことを常に意識している。
乏しい想像力を補うため、想像力に嘘を付かせないためには、リアリティーを得ること、それこそが僕のもっとも大切なものとして考えてきた。
写真だってそうだ。写真を撮りながら、カメラに嘘をつかせるのではなく、写真の表面に語らせるのではなく、写真の先にあるもの、ずっと向こうにある確かな熱、温度のようなものを撮りたいと考えてきた。
とはいえ、今の僕には本当のリアリティーがまるで足りないのだろう。

だからということにはならないのかもしれないが、被災された方々と心を共にしているとは、申し訳ないけれど言えそうにない。
今、必死で原発に向かって水をかけている作業員に交代を申し出ることもしない。
被災された方々へ何とかしたいという思いや、それができない申し訳なさは人並みに持っているつもりだが、今の僕はこうして暖かな場所にいて、PCに向かって、それらしい言葉を吐き続けている存在だ。

そんな自分に少し嫌気をさしたのか、ふと手にとったのが宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」だった。お読みになった方も多いと思うが、この童話は、歴史的に東北がいくどとなく経験してきた飢饉が重要なテーマとなっている。

主人公のグスコーブドリは、幸せな家庭で生まれるが、何年も続く凶作のなかで、両親を喪い、妹のネリとは離れ離れになってしまう。
両親は子供たちにすこしでも食べ物を残すため、森の中で死を選び、妹は人さらいにさらわれる。
残ったブドリは若さと素直さだけを頼りに生きていくわけだが、物語はブドリに大きな役目を負わせる。

凶作を人の力で何とか回避したいと願うブドリは、あるとき、最新の科学知識を持つ火山局の職を得るのだ。

火山局は、物語の舞台であるイーハトーブの火山を研究する立場にあり、科学の力を利用して、火山の活動を人の暮らしに役立てようとする研究所として存在している。

賢治は、深い信仰心を持つ一方、科学者としての思考を持った人物だった。
東北を襲う度重なる凶作は、賢治も経験したことであり、だからこそ、人の知恵で飢饉を克服することは賢治の大きな願いだった。
人類の知恵を集めて自然の力を少しでも抑え、また利用する火山局は科学者賢治の夢そのものなのだろう。
そして、火山局が人類の夢であるとしたら、ブドリという存在は人間賢治の夢といえるだろう。

ブドリは、老技師と一緒に行動し、火山の噴火を予知すれば、先端技術を駆使してガスを抜いて安全を確保し、また、火山活動を利用して、痩せた土壌に肥料をまいて、収穫高をあげることにも成功する。
自然と向き合い、その力をコントロールすることで、住民の生活に安寧をもたらす。
飢饉ですべてを喪ったブドリにとって、人の暮らしを向上させる火山局での仕事はまさに自分の全存在を賭してでもまっとうする職務となった。

そして、若いブドリが全存在を賭ける場面があまりにも早く訪れる。
ブドリが27歳になったとき、両親を亡くした飢饉の再来ともいえる大冷害の兆候がイーハトーブに訪れる。
二度とあの飢饉のときのような不幸を起こしなくないと願うブドリの思い。
その思いは何よりも固く、また科学を信じる気持ちもゆるぎない。

そこでブドリは、火山島の火山を人の力で噴火させ、放出された炭酸ガスによって、地球を暖めようとする作戦に出る。
しかし、その作戦のネックは、噴火装置を最後に操作する人間が生還できないということだった。

もちろん、ブドリはその役目に志願する。ブドリを一人前に育てた老技師は、犠牲は自分の仕事だと言諭すが、ブドリの心は固く、譲らない。
かくしてブドリは、火山島に残り、作戦を実行する。火山は予定通り噴火し、大量の炭酸ガスがブドリの国を覆う。そこから先、物語はブドリのことを語らない。
人々は、噴火によって青空が不思議な色に染まるのを目撃し、気温が上昇していくこと感じる。
そして、迎えた秋、作柄は平年並みとなる。
こうして物語は「ちょうどこのお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょにその冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした」と終わる。

この物語をどう読んでいいのだろうか。
賢治は、「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得えない」とつづった。
そういう意味では、ブドリは自らの自己犠牲によって賢治の思想を昇華させた。
しかし、この物語はいつ読んでも後味が悪いと僕は感じる。

またわかったようなことを言ってしまうことになるが、この世界は犠牲を必要していると思う。
あってはならないことだと思うが、不条理という名の犠牲は受け入れる受け入れないをかかわらず、個人に突きつけられる。誰が何と言おうがずっとそうだったし、きっとこれからも変わらないだろう。

でも、ブドリについては、不条理という名の犠牲ではないと思う。
ブドリは社会の中での役割のなかで犠牲を選んだ。
ブドリにその後悔はないだろう。しかし、個人の犠牲を生む社会、そこが後味の悪さにつながると思う。

社会や世界という言葉はあいまいさを生む。この場合、愛する人の暮らしと言い換えることができるだろうか。
そうすれば、犠牲もまたあり得るといえるかもしれない。
少なくとも、犠牲になった人の思いは無駄ではなかったと言える。
それでも、人はもっと自由だとも思う。
何をおいても最後まで生き残ろうと思うのも人として、あるいは生物としてのあるべき姿だと思う。

今回の津波でも消防団や警察官、役場職員、多くの方々がブドリとなって命を落とした。
きっと、水門を閉じようとして、逃げ損ねた人を助けようとして、亡くなられたのだろう。
ブドリにも負けない精神の清らかさと強さ。それがこの土地の人にはあった。
僕になど、お悔みの言葉を述べる資格すらない。

しかし、本当のブドリは、原発周辺で冷却作業にあたっている現場の方々かもしれない。
科学の力で、人間の暮らしに大きな恩恵をもたらす原発(もちろん、安定状態においてだが)。
科学の力を集め、そうした原発を作り、動かそうとするのは、ブドリが火山を利用して、畑に肥料を撒き、噴火を促し気温を上げようとするのと、どこか似た行為にも思える。
そして、その恩恵の結果として浮上する犠牲。
原発の冷却作業に従事する方は、職務責任というにはあまりにも大きなリスクを背負って作業にあたっている。まさにブドリそのものだ(もちろん、賢治が原発を賛成していたというわけではない。そもそも時代背景が異なっている)。


原発反対、賛成にかかわらず、この国で普通に暮らしている以上、僕たちは原発の恩恵を享受してきた。
事故は、電力会社の問題ではない。この国に暮らす人、全員の問題だろう。
いくら、エコを心がけようと、その気になれば24時間自由に使える電気を所有してきたこと。これこそが原発の恩恵なのだと思う。
社会全体でそうした恩恵を受けながら、最後の犠牲は、個人に負わせるしかないのだろうか。
作業する人は、僕らと何ひとつ変わることはない。
大切な人もいれば、夢もあり、不平も、喜びも、持ちうるすべてのものが僕らと変わることがない。
原発付近に暮らしている人もまた社会の犠牲ということになるのだろうか。
そんな個人に社会の責任を押しつけるという現実。
それが成熟した社会の姿なのだろうか。

津波を完全に防ぐことはできないだろう。どのように文明を発展させ、先端の技術を手に入れようとも、その瞬間、自然の力の前では無力に等しいということを、今回の津波が物語った。
僕たちにできることは、とてもシンプルなことで、そういう自然の力をじょうずにやりすごしながら、これまで以上に、逞しく、したたかに生き続けるということなのだろう。

しかし、津波と原発は間違いなく違う。原発の責任を個人やひとつの会社に押しつけてはいけない。
原発を生み、作り、利用してきたのは、間違いなく僕たち自身であるからだ。

と、言い切ったところで、では何をすべきか、今の僕にはちょっと検討がつかない。
節電とかそういうことではたぶん、解決できない問題なのだろう。
社会構造、価値観、大きな変革が必要となるのだろう。
それらすべては、そう簡単にはできないことばかり。
そうなると今の状態は行き詰って先が無い。そんなところだ。
僕たちはもうそんな遠くの戻ることができない場所まで来てしまったのだろうか。

なんだか、この六日間のことで思考がおかしくなってしまったのか、まとまりのない文章を書いてしまった。

僕に今できることはやはり、一人でも多くの人の幸運と無事を祈り、あの美しい三陸の入江と人々の暮らしが、さらに美しくなって戻ってくることを願うこと。そして微力を積み上げて、すこしでも大きな力に変えること。写真を撮る人間として何ができるかを見つけ出すこと。自らの来し方と、歩むべき先を、もう少し真摯に考えること。

何より、多くのブドリのご冥福を祈るとともに、これ以上、ブドリが生まれないようにと願い、今起きていることをずっと忘れないことだと思う。

このたびは多くの方から励ましのお言葉をいただきました。本当にありがとうございました。

web三陸-3.jpg
2010年 南三陸














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コメント 3

蒲田明子

ご無事で、良かった。
覚えているかな?
地震が起きて、東北には、親類の居ない自分は、
真っ先に、あ、奥山さん・・・・と。
ふだんは、たまーに、南部せんべいを見ると、奥山さんを思い出したりしておりましたが・・・

職場も、変わり、PC破損したりで、めるあど紛失してしまい、ご無沙汰ばかりで・・何か、情報は・・と思ったところ、ここにたどり着きました。
 とにかく、ご無事で、本当に、良かった・・
by 蒲田明子 (2011-03-23 10:06) 

奥山淳志

蒲田明子様
ご心配ありがとうございます。
幸いにして、かすり傷ひとつなく過ごしています。
蒲田さんのことは、もちろん、覚えていますよ!お久しぶりですね。
昨年は新宿のトーテムポールフォトギャラーで写真展をしたので、もしかしたら蒲田さんにもお会いできるかなと思っていたのですが、職場を変わられたんですね。
いずれにしょ、蒲田さんもお元気そうでうれしいです。
また、今年も東京で展示できればと思っています。
その際はご覧いただけるとうれしいです。
ありがとうございました。





by 奥山淳志 (2011-03-23 22:00) 

蒲田

お元気そうでなによりです。
お嬢さんも、大きくなったでしょうね。。。
すっかり、雪ん子なのでしょうか?

べんそうさんは、お元気なのでしょうか???
話は、つきませんが、
東京での写真展、首をながーくして、楽しみにしています。

by 蒲田 (2011-03-31 13:28) 

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